山良し、売り手良し、買手良し

有限会社中嶋材木店

中嶋 博幸

TOKYO WOODの製材を担当し、あきる野市で製材業を営んでいる有限会社中嶋材木店社長の中嶋です。
当社は祖父が繊維業(蚕)から木材業に転身し私が三代目になります。当社の生い立ちを少し話させて頂きます。昭和40年ころまでは、当社も地場の山を買い切り出し製材して近隣の木材市場へ出荷していたようです。当時は木材が飛ぶように売れ、どこの市場でも「ぜひ、材をうちに持ってきてくれ」と運転手にチップ渡して誘惑もしていたそうです。古き良き時代だったのかもしれませんが、「生でも、寸法精度ほどほどでも、木材なら何でも持っていけば現金で買ってくれる。値段は買い手が決める」という時代がありました。今になってみると、それが木材業界の「売る努力をしない。品質管理が甘い。昔は良かったと愚痴る」この悪しき慣習が一因になっていたのかもしれませんね。

 

高度経済成長期に入り住宅が足りない、おまけに戦後植林したばかりの日本の森林資源では木材も足りない。ということで日本は外材輸入を100%解禁しました。父は近隣製材業者と差別化を図るため、米松、米ヒバの大径木を扱い社寺仏閣や旅館・ホテルなどに使う高級造作材を製材するようになりました。私が入社した昭和57年頃は毎日1m級太さの丸太を挽いていました。8tフォークリフトのお尻が持ち上がってしまうような太さの丸太もあったくらいです。

 

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平成に入ったころから、日に日に太い天然木が細くなってくるのがわかりましたし、質が落ちているが価格は上がる。という具合で「米材とて良い天然林は資源が尽きてきたのだな、、」と感じたし「日本の山間地でうちはいつまで外材挽くのだろうか、まして日本の山も50年生以上に育ってきている。これからはこれらを活かすのが俺たち国内製材業者の役目だろう」と思い立ち、徐々に国産材へシフトし10年後くらいには100%国産材スギ・ヒノキ製材工場になりました。とはいえスギ・ヒノキは日本全国どこにでも存在し、地方では製材工場の大型化も進み「安い、安定品質、安定供給」と三拍子そろった製品が首都圏へどんどん流通しています。

 

大手量販店を大手製材に例えるなら、大手量販店に対抗して田舎の個人商店が同じ商品、同じ売り方で勝てるわけがない。先に疲弊して倒れるだけ。ならば、流通量は少なくてもコダワリをもった製品を東京でつくり、コダワリをもった東京のお客様に理解して買っていただく。「これしか生きる道はない!」

 

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五日市(合併前の町名)という町は江戸が都になったころ消費地である江戸へこの地域の森林資源を売って栄えた街。消費地の中にある森林資源ある特殊な地の利なのだから、活かせないハズがないと思い、規格品ではない部材を完全受注生産体制にて製材してきました。そのようななかで「コダワリをもった家づくり」をしている小嶋工務店と出会い、同じ思いの中で様々試行錯誤しながらジモト林業家、製材屋、工務店が一つのチェーンでつながりTOKYOWOOD普及協会が発足し、東京の森の資源をコダワリをもって東京の消費者へ提供できる体制が整ってまいりました。まだまだ道半ばではあり更なるコダワリは続いていきますが、「山良し、売り手良し、買手良し」の三方良しでTOKYOWOOD普及協会が発展し、なおざりにされがちな山元まで還元できるような仕組みが発展するようにしていきたいと思っております。