名もない東京の木を輝かせる

有限会社沖倉製材所

沖倉 喜彦

TOKYO WOODの供給元である沖倉製材所。その始まりは1950年(昭和25)、二代目を引き継ぎ、現在代表を務めているのが沖倉 喜彦さんである。無名の木であった東京の木を、どのようにすれば活かしていけるのか、価値を高めていくことができるのか、使ってもらえるのか。その長きに渡る挑戦と沖倉製材所のエピソードを追ってみた。

沖倉製材所のルーツはうちの親父なんだけど、製材業を始める前に何をやっていたかというと、山主さんに奉公して山仕事をしていたんだ、要は木こりだね。当時の製材業、材木屋というのは儲かる仕事で、親父は小さい頃から製材業をやることは決めていたみたいなんだ。しかし時代は戦中、太平洋戦争に駆り出されることになり、それは波乱万丈な人生を歩んだみたいだよ。だけど製材業というやりたい仕事のために、なんとか生還して今のあきる野市から少し山に入った養沢というところで沖倉製材は始まったんだ。

 

かつて東京の山は財産だった。木は無駄なく使われ、木材代金も高かった。そのため山主というは殿様や天皇陛下のような存在だったという話もあるくらいだ。当時は山の木を買うとなると関八州の材木屋が一堂に集まり高値で入札が行われていた。製材という仕事をするにも高値の原木を調達しなければならない、それを買うためには資金も必要となる。そこで先代が以前に山仕事をしていたことが、後の沖倉製材の大きな発展に繋がることになっていった。

製材業を始めたと言っても山の木を買って出すという作業をしないと仕事になんない訳で、当時はそれが入札だった。その頃に結構でかい山があって、その木をとにかく獲りたいっていう想いで、山勘っていう言葉があるよう山師にもある程度の相場みたいなものがあって、それを徹底的に調べてこれだっていう数字で入札した。その札を開けるときは、料亭で会席善があって一杯やりながら札を開けていたようで。親父は自分の札開けを待っていたら、突然わぁー!!!ってどよめきが上がったんだって。誰も知らない若造がいきなり山の権限を手に入れてしまったんだよ。しかしその大金を払う当てもなかったんだが、前に山仕事で世話になった山主の協力を得てなんとか買うことができたんだよ。その後、山の相場もグンと上がって沖倉製材は急成長していったんだ。

 

当時は山を買い、木を伐り出して、製材して売るというように、流通が一貫して行われていた。そんな中で戦後復興によって日本の山の木はどんどん伐り出された。昭和30年代に入り外材の輸入自由化が進み、地域材を使う量も少なくなっていき、沖倉製材でも新木場へ外材を仕入れるようになっていった。同時に市況もめまぐるしく変化していった。

俺が代を引き継いでからは外材が主流になっていたし、顧客も大勢いたんだよな。その頃はよく新木場に外材の丸太を買いに行ってたから、外材の丸太を見る目は鍛えたよ。それは今の国産材にも順ずるものだよ。ただ時代の移り変わりで、お付き合いをしていた顧客が減っていったんだ。親父の代の工務店のお客さんなんかも後継者がいなくて廃業するところも多くあって、売り先がどんどん減っていってしまったんだよな。そこで製材業も何か特色がないと淘汰されてしまうなっていう想いは感じてきていたんだ。

 

沖倉製材所が属していた秋川木材協同組合の組合数もばたばたと廃業していった。製材所をやっている人たち自身が、二代目に継がせる仕事ではないと判断し、代替わりする時に継がせないのだ。外材、地方林業地との価格差によって、多摩の製材業はますます厳しい立場となっていった。そんな中で沖倉さんが製材所を続けてきた想いを聞いてみた。

多摩地域は昔から林業地で、この山は先代の人たちが残してくれた財産なんだ。誰かが守っていかないと、東京の林業・製材業を終わってしまう。そこで秋川木材協同組合として、当時40社くらい残っていた組合員で団結して色んな取り組みを進めたんだ。そんな中で地方の木材山地への視察へ行ってみたんだ、すると品質も良く、値段も安いんだ。そこで自分たちがこれから戦っていく方法を考えた結果、多摩の地域材を売ることに原点回帰したんだ。それは先代社長が最初に行なっていたことだった。地方が「県産材」としてブランド化する取り組みを秋川木材協同組合で東京都の担当課も巻き込んで進めていったんだ。それが多摩のブランド地域材「多摩産材」なんだ。

 

先代が残してくれた山を守るために、名もない東京の木を「多摩産材」という産地証明によって付加価値を付けた。現在では産地証明だけではなく、更に品質の証明も加え「TOKYO WOOD」というブランドが完成した。東京の林業・製材業の栄光と衰退を見てきた中で、仲間と作り上げたTOKYO WOODには信念と誇りを持って取り組んでいる沖倉さん。しかしここまでの話はまだ始まる前の話。次回はTOKYO WOODへの道のりについて話を伺ってみたいと思う。

今までの歴史を振り返ると、何もない中でこの東京の木で家を建てるというTOKYO WOODの取り組みが形になっていったことは俺が一番ひしひしと感じてると思うよ。新しい仲間も増えて、この活動はまだまだ広がっていく途中の段階でもある、そしてお客様も増えていることは本当に嬉しいよ。顔の見える家づくりはこれから先も維持していきたいね、そのためにも技術を磨くこと、多くの人にこの活動を知ってもらえるように励んでいきたい。東京の木に誇りを持って、お客様の家となるTOKYO WOODを供給していきます。

 

 

有限会社沖倉製材所 代表取締役 沖倉 喜彦(おきくら よしひこ)

設計事務所にて一級建築士免許を取得後、家業である沖倉製材所に入社。父親急逝の為若干32歳にて代表に就任。代表就任後は東京の木多摩産材認証制度の確立に尽力し、普及に務める。2012年、仲間共にTOKYO WOOD立ち上げ、2014年ガイアの夜明け出演。2016年FSC、SGEC認証の取得。「木を活かす」事を常に考え、建築材から内装、家具まで様々な商品を制作している。

秋川木材協同組合 代表理事
(一社)TOKYO WOOD普及協会 理事長

URL:http://www.okikura.co.jp/